--.--.-- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | |

2005.05.08 17:36

助産婦学校を卒業すれば(国家試験を受けて、それに合格すれば)晴れて、助産婦として仕事が出来ます。
私もどんなことがあっても、最低3年間は仕事を辞めるまいと思いましたが(臨床経験が最低3年あると、開業する資格が出来るのです)3年半が経った頃、思いがけない事情で退職するにいたりました。
そうです、離婚です。

離婚するのなら、仕事は続けていたほうが、経済的な心配がなくてもちろんいいのですが、何しろ離婚の原因が原因だったので、助産婦として仕事をしていくことが辛くなったのです。
離婚の原因は、元夫の浮気(本気)と相手の女性の妊娠でした。
それに加え、元夫から離婚を言い渡され、その女性と一緒になりたいとも言われました。
お腹の子が生まれるまでに離婚してくれ、カンチはお前が育ててくれ、そんなことがあるのでしょうか。
当時、カンチは1歳5ヶ月でした。

妻としての立場の私は、相手の女性に妊娠中絶を迫り、助産婦としての立場の私は、妊婦さんたちにいいお産が出来るよう、笑顔で応援している。
こんな精神状態では助産婦としてやっていく自信が全然ないと考えた私は「もう、助産婦として仕事は一生出来ない」とまで思いつめ、その後は1年ほど友人の化粧品の仕事を手伝ったりしていました。

あるとき、助産婦学校の教務から「保健所(今の健康プラザ)で、保健婦の産休代替を探している」と言われ、私は保健婦の資格はないのですが、当時はまだ母子保健が都道府県でなされていたときだったので、助産婦にぜひ来て欲しいということもあり(実は臨床ほど妊婦さんと接する機会がないだろうと言う思いもあり)その仕事を引き受けることにしました。
それが、実は地域の魅力に取り付かれた一歩だったのです。

未熟児や新生児の家庭訪問では、お産が終わって退院してこられたお母さんやその家族が対象です。
今までは臨床という、お産から1週間ほどのお母さんや赤ちゃんたちとしか接する機会が無かった私にとって、退院してからこそが助産婦のニードが重要だと言うことをはっきり感じさせられたのです。
私の中で、何か痞えてたものが取れて行きました。
もう、助産婦の仕事は出来ないと思っていた私は、その約1年後、助産婦の魅力に改めてとりつかれてしまったのです。
それからは地域の仕事がおもしろくて魅力的で。
ある意味、お産の介助をすることより、充実していると感じました。

助産婦の仕事の醍醐味は、なんと行っても分娩介助です。
新しい命の誕生に立ち会えることが出来るというすばらしい反面、命に関わる現場ですので
大きな緊張感も常に持っていなければなりません。
お産には助産婦の資格がある限り、いつでも復帰できますが、地域の仕事は選ばないとできないのです。
3ヶ月の赤ちゃんの発達やその時期のお母さんの母乳の状態は、臨床では経験できなかったことです。

離婚当時の、あの葛藤は何だったのだろう。
助産婦であるがゆえに苦しんだ経験が、今となってはばねになっています。
自分の苦い経験を反面教師として、お母さん達に伝えて行くことが出来ます。
ああ、結局私は助産婦なのだなあと、ようやく苦い過去も今の仕事の糧にすることが出来てきました。
(でも、助産婦の資格だけに甘えていても、進歩はないのですけどね。いろんなことにチャレンジしていかないとね)
スポンサーサイト

テーマ : ナースのお仕事 - ジャンル : 就職・お仕事

| 助産院へようこそ! | コメント(0) | トラックバック(0) | |

この記事へのコメント

コメントを書く

管理人にのみ表示

↑ページトップ

この記事へのトラックバック

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

↑ページトップ


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。